アファメーションで幼少時からのトラウマから脱却!ガンとリウマチから見事卒業♪

1.発病した頃の様子


(環境・メンタル)


リウマチになった引き金は、仕事上の対人ストレス。仕事のストレスが多大だった時期。会社で人がどんどん辞めて入れ替わり、自分に掛かる加重が増大。日々の休憩はおろか、食事も満足に取れない状況。終電まで仕事で、毎日午前様状態。帰ったら寝るだけ。


この頃は、孤軍奮闘状態。自分独りで異常に頑張っていた。「~あるべき」、「~ねばならない」、「自分はまだまだ出来るはず」など、間違った努力を必死になってしていた。仕事以外でも、様々な団体の役を引き受けていて、プライベートな自由時間はほとんど無し。最初は楽しみだった活動も次第に重荷になっていった。


(体調)


2005年12月、右足小指の付け根の関節が外側に飛び出し始め、痛みを感じる。2~3日後には左足も右足と同様の状態になり、1週間後には両足とも関節が完全に変形。右足親指の付け根の関節も外側に飛び出し始め、痛みが激しくなる。


翌年の2006年1月には微熱と倦怠感で風邪の初期症状のような状態が続き、腕、肩、膝の鈍い痛み。


筋肉痛だと思っていたが次第に痛みは増し、ベッドから起きあがるのに時間がかかり、服の袖に腕を通すのが苦痛。通勤時に走れなくなる。箸も中指で代用。


3月になると腕・肩の痛みが午前中続くようになり、両手人差し指の腫れにより指が曲がらず、両手中指の付け根の関節も腫れて痛みを持つ。首を上下左右に向けるのが苦痛で、ゆっくり動かしても途中までしか廻らない。どんどん強くなる痛みに我慢できないため病院に行ったところ、結果的にリウマチと診断され、薬を処方される。


2009年8月まで様々な薬を服用するが、腫れ・痛みは次第に悪化。


(当初からの服用薬一覧)


1.モービック錠10mg1日1錠(炎症止め),テルネリン錠1mg1日1錠(鎮痛剤)

2.アザルフィジンEN錠500mg1日2錠(抗リウマチ薬),ロキソニン錠60mg1日3錠(消炎鎮痛剤),プレドニン錠5mg1日2錠(抗炎症薬),ボルタレンSRカプセル1日2錠(消炎鎮痛剤)

3.リウマトレックスカプセル2mg1日2錠(抗リウマチ薬)

4.メソトレキサート(MTX)錠2.5mg1日4錠(免疫抑制剤),プログラフ錠1mg1日1錠,プログラフカプセル0.5mg1日1錠(免疫抑制剤)

5.エンブレル皮下注射25mg週2本(生物学的製剤)

6.レミケード点滴300ml月1回(生物学的製剤)

7.オレンシア点滴500mg月1回(生物学的製剤)



2.治そうと思った転機


病気になったら病院へ行って、お医者さんの言うことを聞いて薬を飲んでいれば治ると思っていた。病院を変えても検査数値が良くならない為、リウマチの薬がどんどん強いモノになっていき、最後、オレンシアまで行ったところで、2011年6月に乳ガンの手術を迎えた。


それまでにガンの存在は分かっていたが、仕事が忙しかったこともあり、先延ばしにしていた。しかし、1年で急激にガンが大きくなり、これ以上放置するのも良くないかと思い、手術のため、会社を休み入院する。


リウマチ発病からこの間まで、仕事はフルタイムで休まず続けていた。リウマチの痛みが強いので、薬を増やして行ったが、身体がしんどくなるだけで痛みは減らない。絶叫したいくらいの痛みでも、仕事柄ニッコリ笑って毎日普通に勤務していた。


入院して一番良かったのは、ゆっくり寝られたことと、規則正しく食事が取れたこと。(^-^)手術前の検査では、「3日で退院できるから。」と主治医に言われたのに、術後の検査では致死率の高いガンだったとのことで、速やかな抗ガン治療を勧められる。


リンパ節へのガン転移も見つかり、余命宣告も受けたので一時退院し、そこで知人の薦めもあり、長野県の「穂高養生園」に1週間滞在。マクロビオティックの食事と、ヨガや森林散策などの運動、休養に重きを置いた施設で身体を休め、独りでゆっくり考える。


「リウマチ感謝!」さんのブログやセミナーで、卒業生の話を聞いても、「この人はリウマチ歴が短いから~」とか、「あなたは治っても私が治る保証は無いし~」とか、今から思えば、自分への責任感や本気度が低かった。


セミナーに参加したときはモチベーションが上がっても、帰って一人になると、段々盛り下がって、フェードアウトしてしまう。しかし、もう後が無い状況になり、遅ればせながらやっと本気に。(^^;)


まず、リウマチだけでもシンドイのに、抗ガン治療などで、これ以上、自分の身体を痛めつけたくないと思ったのが、その時の一番の気持ちだった。


ガンで余命宣告された人でも、自然治癒した人が居ることはネットや本で知っていたので、自分もそうしようと思った。ガンもリウマチも自己免疫疾患なので、ガンが治ればリウマチも治るはずと考えた。


抗ガン治療を断ると、医者には「自殺行為だ!」とか、「百人中、百人が選ぶ道をあなたは選ばないと言ってるんですよ!」とか、「その根拠のない自信はどこから来るんですか?変な宗教にでも入ってるんですか?」など、色々説得されたが、とにかく病院を去る。



3.治すために実践したこと


(減薬~断薬)


ガンの手術前に、生物学的製剤と免疫抑制剤の一部は、術後の傷口の治りが悪いとのことで、即日中止。


並行して、ステロイドと免疫抑制剤の残り、抗リウマチ薬も自己判断で減薬開始。痛み止めだけは体調に応じて増減していく。最後は痛み止めだけで、最終的に全て断薬出来るまでに2年掛ける(ステロイドは徐々に減らし、1年掛けて断薬に至る。)


減薬を始めて1ヵ月半~2ヵ月で最初の断薬リバウンドが来て、痛みのピークを迎える(その時はピークだと思った)。ベッドからトイレに行くのが毎日壮絶な戦い。


でも、他の卒業生の体験談で聞いた「寝たきり」状態では無いので、自分はまだマシと思った。


その後、減薬スタート半年~1年経過くらいで、痛む箇所も様々に移動して行く。この間に痛みも本当のピークを迎え、あまりに痛いので、「こんだけ痛いなら、薬全部止めても同じじゃん!?」と何故か思い(笑)、完全断薬に踏み切る。


リウマチ感謝さんの言う、「煮えたぎった鍋の蓋を一気に開けた」状態で、この二度目の断薬リバウンドで足腰に来る。リウマチまっただ中の頃にも無かった膝の痛みで、人に支えて貰わないと、独りでは立てなくなった時期が半年くらい続いた。



(環境面)


・仕事については、1時間遅く出社できるフレックス勤務を申請。夜も1時間遅くなるが、元々定時で帰ることなど無い状況だったので、実質的に1時間時短勤務に。

・自分の仕事をサポートしてもらえるアルバイトを頼む。

・オーバーワークの仕事を他の人に移管するよう、上司と交渉。

・休憩時間は必ず取る、食事も取るようにした。残業も原則しないように。

 ・・・勤務体制をこれほど優遇して貰えたのは、それまでの自他共に認めるオーバーワークな状況が有ったからですが、強い意志で交渉しました。何せ命がけですから。(爆笑)

・様々な団体の役を降ろさせて貰ったり、辞めたりして、自分の休日を確保。

・夜8時までには必ず帰宅し、遅くても10時には就寝。

・「場を変える」ことも必要と考え、引っ越しも視野に入れて部屋の「断捨離」を実行。


(食事面)


 ・・・リウマチ感謝さんのセミナーで習ったことを実践。(サプリメントは特に無し)

・不規則な食事を改め、最低でも2食は確保。(以前は1日1食有るか無いか)

・1日掛けて、水を少しずつ飲む。

(500mlペットボトルのミネラルウォーターを平均して1日1本くらい)

・白砂糖、食塩、食品添加物を避ける。

・ジャンクフード、揚げ物、乳製品、肉類、パン、麺、お菓子類の摂取を極力減らす。

・玄米を混ぜたご飯、味噌汁を1日1食は入れる。

・毎日5~6杯飲んでいたコーヒー(缶コーヒー含む)を極力減らし、カフェインレスや、紅茶、ハーブティに替えた。

・野菜、果物を毎日摂る。市販の野菜ジュースも利用。


(その他)


・丹田式呼吸法・・・自律訓練法の前に、夜、布団の中で毎日適当に。

・自律訓練法・・・リウマチ感謝さんの「自律訓練法CD」を使用。

毎日夜、布団の中で、やりながら寝る。

・寝たいときに出来るだけ寝る。時間は関係無く、身体を休めることに重点を置く。

・ホットパック・・・中村司先生のホットパックを買って就寝時にほぼ毎日使用

・漢方薬・・・統合医療の漢方医に処方して貰い、ガンの手術後1年間、煎じ薬を服用。

・山元式頭鍼療法(YNSA)・・・宮崎の鍼治療に行ってみた。

・スペシフィックカイロ・・・熊本の上部頸椎調整に行ってみた。

 ・・・正直、この2つは回数行ってないので、効いたのかどうか不明。

どちらかと言うと、リウマチ感謝さんのブログを読んで行ってみたかった感じ。(笑)


(メンタル面)


・アファメーション

・たまにバッチ・フラワーレメディや好きなアロマオイルを援護射撃に利用。

・週に一度は、自分がワクワクすることを“必ず”する。



4.治った理由(=病気になった理由)


元々、いわゆる「リウマチ気質」=自己犠牲的精神がベース。


・人に頼まれると引き受けてしまう。=期待を裏切りたくないと思う。

・自分は感情を理性でコントロール出来る人間=嫌なことでも、進んで引き受ける。

・自分は自他共に認めるスーパーマン!=まだまだ出来る!まだやれるはず!

・まだ自分の能力が足りない。もっと出来る人が居る=もっと努力・勉強しなくては!

・自分がやらなければ誰がやる?=他の人は出来ない、反対にもっとやるべきとも思っていた。

・他人の責任も自分の責任と考える


結局、自分で自分を間違った方向に追い込んでいた。治るためには、この悪循環を断ち切り、根本的に変えなければと思い、思い切って仕事のやり方や環境を変えた。


そして、そもそも何故こんな状況になったのか?

病気になるまで、また、なってもまだ暴走していたのは何故か?


それは自分の考え方が根本にある。考え方=行動=生き方。

では何故こんな考え方になったのか?


ここに気づくことが、自分で病気を治す上で、一番大切なことだった。


しかし、気付くことは同時に、今まで蓋をしていた自分の本当の気持ちと向き合うことでもあり、それは非常に苦しい作業の始まりだった。表層意識では10年以上前に解決済みのつもりのトラウマが、深層意識ではずっと残っていて、それが自分の人生を形作っていたことに初めて気付く。


物心ついて以来、家族からの暴言・暴力に対する恐怖の中で生きていた。なぜ自分に暴力がふるわれるのか理由が分からないまま、心身共に、成長するにつれ金銭面も含めて、理不尽な暴力を受けていたが、誰にも相談できなかった。(誰かに相談して公になると、もっと状況が悪くなる)


22歳の時、背骨を折る怪我を負い、このままだとホントに殺されると思い、そこから2年計画で家を出て、やっと自由の身に。ガンになったのも、前年に結婚した夫の暴力によるストレスからだった。


生い立ちのトラウマから、自己否定感が強く、自己評価も低く、自尊心が持てない。

他人の評価でしか自分の存在を評価できない。


その裏返しとして、自分の存在価値を示す為、猛烈に働いたり、資格を取りまくったり、完璧な自分像を目指して頑張り続けた。


また、他者からの愛情が自己の存在事由に結びつくため、常に他人の目を過剰に意識してしまう。


他人の責任であっても、自分にも責任があると思ってしまう。


病気になっても、他人に迷惑を掛けたくないと思い、病気であることも隠していた。

病気になった自分=弱い自分・ダメな自分・役に立たない自分と言う意識。


穂高養生園でのカウンセリングで、「自分をもっと大切にしなさい」と言われても、「自分を大切にするって何をどうすれば良いの?」と言う状態。「自分が楽しいと思うことをやることだよ」と言われ、「そうなの?」くらいの意識レベルだった。


リウマチ感謝さんのセミナーで知り合った卒業生に話を聞いたり、ヒーラーにヒーリングを受けたりしながら、このトラウマから脱出する方法を模索している中で、自分にとって一番有効だと思ったのが、自分で行うアファメーションだった。



リウマチ感謝さんのセミナーで、


「たった3%の表層意識で色々考えるより、97%の深層意識に向けて、良い言葉を入れてあげましょう。濁った水でいっぱいのコップに、きれいな水を注ぎ続ければ、いつかきれいな水のコップになるように、良い言葉を自分に入れ続ければ、それまで悪いものが入っていても、次第に入れ替わっていく。だから物量作戦で、とにかく沢山入れ続けること。」


と言う趣旨のことを言われ、そんなものか~と納得し、アファメーションを開始。


基本的には夜寝る前、ベッドに入ってからやっていた。最初は歯が浮きそうで、全く同感できない感じだったが、自分に馴染みやすい言葉を模索。3ヵ月くらい経つと、鏡で自分の顔を見ながら言えるようになった。


途中で気分が悪くなったり、無性に腹が立ったり、メンタル的な変動は有ったが、とにかく続けることに重点を置いて、気分転換しながらも1年ほど続けたことにより、「自分がご機嫌なら世界は平和」と言うくらいの心境に到達。


生まれてきた本来の自分はどうだったのか?を問い続けて、やっと標準に戻れた感じ。


全ては周りのせいでは無く、自分がどう捉え、感じ、考えるかの問題だった。



5.治って行く身体


この間、身体の方は、食事と休養のバランスが取れてきたことにより、倦怠感や微熱が取れて、心身共に相対的に楽になって行く。治ろうとする身体を応援できる態勢に。


病状的には、リウマチになった時の発現症状を逆に辿って行く。何年も昔の症状なので、自分も忘れていた「そう言えば昔、こんな痛みが有った~!」と言うくらいの懐かしい症状が出て来たりした。

(^-^)


痛む場所は全身を移動するが、徐々に全身の痛みから局所の痛みに変化して行く。痛みの強度に関しては波があり、一律右肩下がりではなかったが、体調に合わせて薬も弾力的に増減しながら減らして行った。最終的に痛み止めだけをお守りのように持ち歩くが、結局飲まずに済む日々になっていった。減薬から完全断薬まで約2年、ステロイドは1年掛けて、全ての薬とお別れ。


薬を減らしたり止めたりしていくのにあたり、一番心配だったのは、関節破壊や変形が進んで、取り返しが付かないことになるのではないか?と言う恐怖。(病院の先生も必ずそう言うし、医学書やネットにも書いてある) 


自分もコレが怖くて、「薬が無いと仕事に行けない、生きていけない!」と思っていたが、結果的に、関節の変形も1~2年掛けて元通りに治って行った。


治る途中で、今まで無かったところに骨が飛び出てきて、朝起きたら、あらビックリ!「指がもう1本生えてきた!?」と言うこともあったが、「アッチの変形を治すために、コッチの変形が起きてバランスを取っている」という風に考えた。


また痛みについても、リウマチの痛みと、関節を長い間動かさなかった為に起こる拘縮の痛みがダブルで発生していたが(主に手首と膝)、病気が治っていくにつれ、自然にこの判別が出来るようになり、運動機能の回復と共に、双方とも楽になっていった。


治る過程で、四十肩になったり、顎関節症の症状が出たり、鼻炎になったり、全身がかゆくなったり、天気に体調が左右されたり、生理が不順になったり、様々なことが起きたが、今まで7年間もリウマチをやって来たのだから、その半分の3年くらいで治れば上等と考え、とにかく身体は放っておいても治ろうとしている!治るレールに乗っているのだからと考えた。


ガンの方は「ガンもリウマチも自分で治す!」と決意してから3ヵ月~半年で腫瘍マーカーの値も激減、結果的に1年掛からずにガンは消えた。人からは「誤診だったんじゃない?」と言われ、余命宣告をした主治医は、3ヵ月毎の定期検診で「何にも治療してないんだよね?」と首をひねるくらいに。(^^)b


リウマチの病院には、自分で治すと決めてから行っていないので、治っていく過程での詳しい数値変化は分からない。また、断捨離で通院していた頃の検査結果も捨ててしまったので、以前の数値も覚えていないが、ガンの定期検査で血液検査をしたとき、CRPの数値がついでに分かる。


これを見ると、ほぼ平常値に近く、病院に通っていた頃よりも格段に改善されたのは明らか。


そして2013年12月には、膝が痛くて使えなかった和式トイレの使用が遂に可能に!


これでリウマチは卒業した!と実感。「自分で治す」方向に梶を切ってから2年でした。q(^o^)p



6.卒業して思うこと


リウマチ発病当初は、病気になったこと自体、他人に知られるのは恥と思っていたし、リウマチ感謝さんのセミナーには4年も通いながら、「リウマチ感謝さんには感謝できるけど、リウマチには感謝できない!」と言っていた。(苦笑)


まして、メンタルな問題を他人から指摘されるなんて大きなお世話!耐えられないと思っていたが、確かに他人ではなく、自分で気付き、自分で治すことが最善最短の方法だった。逆に言えば、自分以外の誰も治すことは出来ない。


発病した時、自分の身体は「もう限界!休ませて~!」、「この辺で方向転換して~!」と一生懸命に訴えていたと言うことが、今では良く分かる。リウマチになったのもガンになったのも、全て妥当なことで、振り返れば、あのタイミングで発病して良かったと思う。


自分がストレスと感じていた人達との関係も、ビックリするくらい変化し、今では何の問題も無い状況。自分の考え方の変化に応じて、環境も良い方向に変化した。嘘みたいだけど、これも本当。


心と身体のバランスを取り戻した現在、自分の身体の声も聞けるし、自分の心に素直になることが出来た。自分が嫌だと思うことには必ず何かの原因がある。自分の感情を封じ込めることは結果的にどこかにツケが来る。何故嫌だと思うのか?しっかり自分の心の声を聞くことが大切。


反対に自分が嬉しい、楽しいと思うのは何か?本当にしたいことは何か?子供の頃の無邪気な自分に戻ったつもりで、こちらもよくよくリサーチするべし。


最後に、リウマチ卒業予備軍の方には、心と身体と魂のバランスを取ることで、無事卒業できると言うことを信じて(たまにヘコタレても大丈夫なので)、安心して進んで下さい。


私が実践した治る方法には、お金の掛かるモノは何も有りません。(笑)

究極は「食う寝る遊ぶ」です。頑張って下さい。


以上


(岡山県 松本昌子さま ※本名掲載可 2014年7月30日記】

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