病気の奥に隠れた本当の問題を見つめ続けることで、10年来のリウマチを克服!

■発症時~初期のようす(2004年、当時25歳)


▪ ドイツ留学中、大学入試の実技試験の最中、厚紙を鋏で切ろうと右手で持ち手を開いたまでは普通。鋏を下ろそうとしたとたん痛みが走り急に右手が動かなくなる。


▪ 1週間後の早朝、右足首の痛みで目が覚める。テニスボール大に腫れその日はまともに歩けず。翌日にはうそのように痛みが消失。 更に1週間後、指の関節が痛み、字が書けなくなる。

 

一連の奇妙な症状を見ていた友人に「免疫系の病気かもしれないからすぐにドクターに診てもらった方がよい」と助言をもらう。この時期にこの的確な発言、その後の出来事も含め今思えば背後に隠された意図のようなものを感じずにはいられません。

 

▪ ホームドクターの問診ですでに"関節リウマチ"という病名が挙がり、即刻検査を勧められる。しかし2日後メキシコ旅行に立つため、帰国後検査をすることに。痛み止めだけもらう。


▪ メキシコ旅行初日、1時間程度のスポーツで見る見るうちに全身の関節が痛み出し動けなくなる。欠かさず飲んだ痛み止めも効果なく痛みが消えることはなかった。薬が全く効かないこと(健康体だった私は薬は効くものと思っていた)、関節が痛む日々に大きなショックを受ける。


結果的にこの旅行は病気の恐さを私に見せつけるものとなり、旅行中に届いた母からのメールにはリウマチの詳細が書かれており半ば脅迫めいていました。母の言葉も重く受取った私はドイツへ戻る飛行機の中で日本へ帰る決意をしました。すでに日常生活への不安が大きくなっていたからです。ドイツの家に戻ると大学の合格通知が届いていました。もし旅行前に届いていたら…私はすでに入学準備を進めていたかもしれません。しかし一度帰国すると決めた心は、自分でも驚く程揺らぐことはありませんでした。

 

▪ 帰国後すぐにリウマチ科を受診。専門医に「こんなのはリウマチでない」と言われる。確かに私の症状の出方は一般的なものとは違うが、頭ごなしに否定され専門医に不信感を抱く。最終的に評判の良い内科を受診。2ヶ月かけて検査し消去法のような形でようやく"関節リウマチ"だろうと診断がつく。


事の進行がドイツとは対照的に非常に緩慢に映りました。さらに全身に及んだ痛みも日本では不思議と落ち着いていたのです。


発病前の私の生活は、異国で入試の準備に追われ寝食もおろそかな毎日でした。しかし心は充実し、ドイツ生活にストレスを感じることはなくむしろ自由気ままに生きていました。このままずっとドイツに居るつもりでした。日本で、ましてや実家で暮らすことになるなんて想像もつかないことでした。


帰国後、身体は休めたものの心には大きな穴が空いていました。それはドイツから不本意な形で帰ってきたということではありません。自分がこうもあっさりとドイツ生活を引き払えたこと、今までやってきたことを簡単に手放したこと、本当に自分がやりたいことをやっていなかったのではという疑念ーーに気づかされ、自分の奥深い大きな闇を知ることになったからです。


▪リウマチと診断されてから"免疫調整剤リマチル"を処方される。これが効き始め元のように動けるようになった私はバイトに励み、帰国後半年で再びメキシコ旅行を企てる(しかも観光ではなく半年の短期語学留学)。


▪再度メキシコへ。実家から飛び出し心は軽くなるも再び身体が悲鳴を上げる。滞在2ヶ月目で薬のエスケープ現象が出現。酷くなる一方の症状にたまりかね、日本の主治医に助言を求めたところステロイドを勧められる。短期服用なら大きな副作用はないと言われたものの、ステロイドには漠然とした恐怖があったため「もうしばらく薬なしで頑張る」と母にメールを出したら1週間後に父が迎えに来て強制的に帰国。


病気は自分と向き合うことを余儀なくします。本当の問題は病気ではなくリウマチはただの隠れ蓑だということをそれから学ぶことになりました。しかし当時はまだそれに対峙することを避けていました。実家で大人しくしていられなかった私は痛みが軽いことをいいことにすぐにバイトを始めましたが、何かをしてごまかしていないと自分を見失いそうでした。


しかし私はずっと自分を見失っていたのです。18歳から一人暮らしを始めその後ドイツへ旅立ったのも実家、家族、母親からの逃避でした。それらとの心の繋がりを断ち切るかのように。留学の目的は実は何でも良かったのです。 本当の自分は発病により私の人生の軌道を修正しようとしたのだと思います。そのためには日本への帰国が必要だったのでしょう。 



■一番ひどかった時期(2005年、発症後1年)


▪日本ですぐに他の免疫調整剤を試すも効果なし。完全な寝たきりに。

▪主治医にリウマトレックス(RTX)の処方を懇願。2ヶ月程で効果が見られる(6mg/週)。


私を制止し反省を促すかのようにリウマチは猛威をふるい私は完全な寝たきりになりました。寝たきりとはいえ寝る体勢すらも苦しく眠ることもできません。痛みがない関節はありませんでした。この時期に私は一般的なリウマチ治療のことをネットで調べ、リウマトレックス(RTX)という免疫抑制剤が主流だと知りましたが、まだ若かった私に免疫抑制剤を使用することを主治医は迷っていました。


「こんな状態は生きているとはいえない」と訴え処方してもらいました。RTXは私にあっていたようで徐々に動けるようになったものの、心はダメージを引きずっていてそれから半年間実家に引きこもっていました。自分の将来を悲観し何のために生きているのか分からなくなっていました。


不安をかき消すかのようにドイツ語を勉強したり好きなゲームに没頭しましたが常に心に闇を抱えた状態で、私の人生の中で最も暗黒な時代でした。しかしこれも必要なことだったと今は言えます。とことん堕ちるところまで堕ちたら後はもう上を向くしかないからです。折しも春、薬のお陰で日常生活を取り戻していた私はまた外に飛び出したい思いが込み上げてくるのを感じました。



■人生の転機(2006年、発症後2年)


▪再びドイツへ

▪ドイツで主人と出会う


「また海外に行きたい」しかしその動機は今までとは大きく違っていました。


『今こうやって動けているけどいつまた寝たきりになるか分からない。出来る時にやりたいこと楽しそうなことをやっておこう、できることに感謝しながら』


『私が私自身を楽しませて喜ばせて人生を送ればいい、結婚なんてできなくてもいいじゃないか』


『今を満喫しよう』


ーーそれはもう一度ドイツへ行くことでした。これが最後の海外旅行になる覚悟もありました。それゆえやりたいこと興味のあることを悔いなくやろうと思いました。滞在中は自分で自分が活き活きと輝いていることを感じました。結果2ヶ月の滞在予定が6ヶ月に延び、日本に帰国する際には将来、夫となる人物を連れて帰ってきていました。


病気を説明するのが面倒なので彼氏すらもう要らないと開き直っていた人間が…です。この旅行は主人に出会うためにありました。そう思うと、愚行含めこれまでの過程、リウマチになったことすらも何一つ無駄なことではなかったと気づきました。そして主人の存在が私の病気に対する考え方を変えることになりました。



■治そうと思ったきっかけ


▪結婚して台湾へ。RTX10mg/週の服用で日常生活は全く支障なし。

▪主人の実家へ移る。自分が育った所とは違う環境、家族観の中に身を置く。


外国ではRTXの処方限度が日本の何倍も高いため、私はずっと10mg/週を服用していました。痛みも副作用もなく病人だと特に意識することもなく薬に頼り切っているとはいえ普通に生活していました。しかし病気がきっかけで知った心の闇は持ち続けていました。こればっかりは自分でしか解決できないことも分かっていました。


私は暫く主人の実家で暮らしていた時期がありました。フランスの片田舎で歩いて10分のところには大きな森が広がっています。主人にとっては庭みたいなもので一人でズンズン奥へ入っていき、私は一瞬置いてけぼりのような状態になりました。そのときふと疑問が湧きました。


『もしここで自分一人になったら果たして私は生きていけるだろうか?』


「私は今まで人工的に造られたものの中でしか生きてこなかった。そうやって守られてないと生きていけない弱い存在。人は自然の恵みがないと生きていけないのに私は自然のことを全く知らない、自然からかけ離れた存在なんだ。それは人として不自然な生き方じゃないだろうか?私は私自身に対しても不自然に生きてきたんじゃないだろうか?不自然だから病気になったんじゃないのか?」


ーー森がそう気づかせてくれたのでした。


その日以来、私は世の中の常識とか一般的な価値観などそれまで当たり前と思っていたことを疑い、自分で調べ考えるようになっていきました。西洋医学一辺倒だった私の頭がようやく柔軟に、広い世界を知ることになっていったのです。2009年、発病して5年経っていました。



■自然療法の実践


▪再び日本へ(リウマチ感謝!さんとの出会い)

▪1年間、自然療法に専念


当時はまだリウマチが治る病気とは思っておらず『とにかく身体に良いことをとことんやってみよう』というスタンスでした。とはいえフランスの田舎で居候の身ではできることは限られています。そんな折、日本へ帰国するチャンスがあり本格的に自然療法をスタートさせました。その矢先、リウマチ感謝さんのブログを発見しました。そこで初めてリウマチが治る病気だと知ったのです。


身体面へのアプローチとして働きかけたことで真新しいことは一切なく、リウマチ感謝さんのアドバイスから時を経て自分なりの形に変化していきました。最初はなんでも試してみましたが結局、習慣となり今でも続けていることは以下です。


ー食生活の改善(自分に合うもの合わないものの見極め)

ーよく寝る(22時台就寝は今でも難しいですが)

ー冷えの改善

ー自力整体(自分で自分の身体を整える、気・血・リンパの流れをよくする)

ー呼吸法(痛み逃しやリラックスするため)


私の場合、心(魂)へのアプローチが難題でした。自分の中のインナーチャイルドや家族との問題が隠れていて、長い間自分を押し殺し、見失っていたことすらも奥底へしまい込み意識に上がってこない生き方をしていたので、私ひとりの力では対処しきれませんでした。


プロのカウンセリングを受け、受け入れるのに長い時間を要しました。ほとんどなかった子どもの頃の記憶を少しずつ思い出しては書き留めたり、自分の感情を拾い上げどんなことに反応しているか、今まで蔑ろにしてきた(傷つかないように重装備していた)自分の心に目を向ける努力をしました。


徐々にですが感情が解放されていき、自分の抱いていた気持ちや思いが蘇ってきました。それは怒りや悲しみの類いでした。そういった感情があることに気づくことが大きな一歩でした。


■減薬から断薬へ

▪自然療法開始1年後に断薬へ

▪2ヶ月間のリバウンド

▪完全断薬後4ヶ月で妊娠判明


日本に帰国後すぐ自然療法を開始したのと同時に、RTXの10mg→6mg/週までの減量はうまくいきました。10mgが私の必要最低限の量だったわけでなく血液検査の数値が完全に正常内に治まり、リウマチをガッツリ押さえ込む量が10mgだったからです。


お陰で数年間ずっと体調が安定していたため少し減量したところで症状が出ることはありませんでした。しかし6mgまでいくとCRPとリウマチ因子の数値が上がってしまい医者はそれを嫌うためそれ以上の減量はなかなか受け入れてもらえませんでした。


私は「妊娠を考えているのでRTXを止めたい」と切り出しました。断薬の口実でしたがあながち嘘でもありません。RTXの中止はうまくいきましたが代わりにステロイドを処方されてしまいました。しかしあることがきっかけで漢方を試してみることにしたため、その時に自己責任でステロイドも医者に行くことも止めました(ステロイドは少量で服用期間も短かったためすぐに止めても問題ないレベルでした)。


断薬してこれまでの自然療法の効果を確かめてみたい気持ちがある反面、リバウンドの不安がありました。そこで私は漢方の助けを借りてみようと思ったわけです。


しかしリバウンドは見事にやってきました。自然療法+漢方でもリウマチの勢いには負けてしまいました。でもそれは悪化ではなくリバウンドなので終わりがあります。事実、以前の苦しみの時のように絶望感のようなものはありませんでした。思わず涙が出ることがあっても純粋に痛くて弱気になったからでした。


2ヶ月で炎症は治まり、その2ヶ月後には妊娠が判明しました。残念ながら流産してしまいましたが私は少なくとも妊娠できる体まで快復していると大きな自信を得ました。


また、断薬して初めて分かったことは、自分の身体が食材に対して敏感になったことです。薬の服用中は完全に押さえ込んでいたため自分に合わないものを食べてもそれを感知することができませんでした。今は身体が何を欲しているのか分かるようになりました。



■断薬後~治っていく過程


結果からいうと、断薬後のリウバンドから抜け出し克服したと思えるまでには2年掛かりました。長く掛かった理由を自分なりに分析すると、1つは心の問題に関わっていること。もう1つは筋金入りの冷え性がなかなか改善されなかったことです。"心と身体の冷え"ーーどちらも発病よりかなり昔から抱えていたことです。


その2年間は良くなったり悪くなったりを繰り返していました。サプリメントは身体が必要としてそうな時にだけ、漢方は炎症の勢いが強くて(特に冬)自分では手に負えないと判断した時に頼るという使い方になっていました。


当初は保険のきかない漢方薬を調合してもらっていましたが、処方が的確であれば保険適用のツ○ラのものでも効果がありました(漢方を積極的に取入れている西洋医の処方)。


長い目で見ると少しずつ快復に向かっているのですが実際、日々の細かな体調の変化に捕われがちで一喜一憂してしまうことがよくありました。それは無駄なエネルギーの消費です。怪我のように順調に治っていくことはないので、振り回されないブレない強さを自分の中で育てる訓練のようでした。


心の浮き沈みを避ける、もしくは病気自体にフォーカスしないためには、やはり自分が楽しいことやワクワクすることを夢中になってやることが大事だと思います。


私の場合、没頭しすぎて身体の声を無視してしまう(=自然療法が疎かになる)傾向がありました。休み休み計画的に行う姿勢が私には欠けていて、病気を治していく過程で自分に必要なことを学んでいくのだと思います。


冷え性改善に関しては考え方の変化がありました。断薬後初めての冬を迎えるときは、重ね着、身体を温める食物、半身浴、湯たんぽ…と完全防備をしていました。しかしそれらはすべて他力の暖かさです。


自分が発する熱によって暖められている身体はとても心地いいんじゃないだろうか?そう思った私は次の冬に向けて、夏のうちからお風呂の最後に冷水を浴びたり、足に痛みがないときは下半身に筋肉を付ける意識をしながらウォーキングをしました。ポイントだけを暖め、むやみに厚着せず寒さに少し慣れることも試みました。自力で発熱できる身体づくりは今も継続中です。


自分の心への働きかけが本当にうまくいっているのか分かりにくい時、周りに目を向けてみると、良い出会いがあったり、事がうまく進んだり、小さな事でも願いが叶ったりすると、この調子でいいんだと受取りました。


家族との関係でいえば、母親とは沢山のシンクロがあったり、両親の関係も良くなっていて実家が居心地の良い場へと変わっていきました。「実家に帰りたい」という感情があることに私自身驚きました。


私がリウマチの克服は近いと確信できた最大の変化は、痛みの出方です。昔は朝の起きがけが一番辛く、午後になって徐々に緩和され、夕方が一番調子が良いという出方でした。それが起床時には痛みがなく、夕方頃からその日一日の疲れと共に関節に痛みが出ると言った具合になっていました。夕食を作り終える頃にはすっかり疲れ果ててしまうのですが、しっかり睡眠を取ると翌朝には痛みは消えています。


要するに疲れが関節に痛みとなって出るようになったのです。睡眠不足だと朝から痛みます。快方に向かうにつれ、原因不明の腫れや痛みが減っていきました。原因がわかるものは治ったも同然です。



■発病から10年を振り返って


病気になって得たものは沢山あります。しかしそれよりもその過程で経験したことが私の人生を有意義なものにしてくれました。ただ病気を治すだけでなく、自分に必要なものを必要なタイミングで学んでいってる感覚がありました。リウマチを治すことから始まりましたが、次第にそれはメインテーマではなくなっていきました。


今年(2014年6月)第一子を出産し、母親になるということの大変さを実感しています。母に対しては優しい気持ちになったり腹が立ったりまだ波がありますが、母は母なりに一生懸命で、うまく愛情表現をできなかっただけなんだと思うようになってきました。自分が母親となった今、母との関係も次のステージに進む時なんだと感じています。


娘を育てながらふと感じることに、娘を愛おしいと思うと同様に自分自身のインナーチャイルドを愛おしみ癒している感覚があります。恐らくそれは、自己肯定の作業なんだと思います。


【広島県 T.H.さん 2014年8月7日記】

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