自分の内面と徹底的に向き合い、リウマチからの卒業を決意

1.発症するまで


私は、祖母・両親・兄3人の家族の末っ子として札幌に生まれ育ちました。23歳の時に上京して一人暮らしを始め、31歳で店舗運営コンサルタントとして独立してからは、朝早くから夜遅くまで休みなしで仕事ばかりしていました。


40歳を超えてから体と心の不調を感じていたころに偶然、中学時代に大好きだったバンド「QUEEN」のライブDVDを観て号泣し、それからQUEEN関連サイトを通じてファン仲間と交流、そこで今の夫と知り合い、人生これからさ!と感じていました。


しかし、仕事は相変わらず忙しく、また2007年に二人暮らしを始めるために2回の引っ越しをして、さあこれから!というときに肩に激痛が走りました。整形外科では四十肩との診断でしたが、11月に人差し指の付け根が腫れ、足小指の付け根も痛くなりました。



【私の体質・病歴】


胃腸が弱く下痢と便秘を繰り返す、冷え性、足がむくむ、薬の副作用が出やすい(風邪薬でじんましん、漢方薬で急性肝炎)、花粉症。東洋医学で「気虚」の体質です。


2.2008年、近代西洋医学で治療開始


1月にかかりつけの漢方医が血液検査の結果を見て「リウマチの可能性がある、専門医に診てもらいなさい」と言ってくれ、3月に2件目の大学病院でリウマチと診断されました。ネットで調べたら「不治の病」「恐ろしい病気」と。落ち込みました。ここでやっと仕事を辞めました。免疫調整剤(リウマトレックス)を始めるにあたり、46歳だった私は子供をあきらめる決断をしました。現代医学が全てだったのです。


4月ごろまで体の痛みが強くなりましたが、薬の副作用にもおびえていました。7月になって痛みが楽になり、薬の副作用は出なかったので安心し、9月から再就職しました。


このころの私はマクロビオティックの本や、石原先生の体を温める本を読み、ニンジンリンゴジュース、半身浴などを適当にやってました。11月に入って急に痛みが増し、医者にレミケードを進められ怖くなり、本気で治そうとネット検索を開始しました。


3.2009年、薬をやめて自然療法開始


1月、リウマチ感謝さんを知り、薬をやめようと決心。3月にリウマチ感謝さんのカウンセリングを受け、大学病院に内緒でリウマトレックスの服用を中止。自然療法を開始しました。


4月になって体の痛みが強くなり、電車がつらく職場へはタクシー通勤。このころ、ネットで偶然見つけた「生活習慣病予防士」の資格を取りに学校へ行き、そこの先生に自律神経免疫療法をやっている病院を教えてもらい、永野医院へ通い始めました。


5月になって杖を使い始め、体はどんどん痛くなり、大学病院の医者には強く生物学的製剤(レミケード)を進められ、とうとう通院をやめました。その後も痛みがひどくなり、眠れない、起き上がれない、歩けない。


このころ永野先生にある悩みを打ち明けたら、「それがリウマチの原因かも!すぐに言いなさい!」と言われ、悩みの相手に思いを言いました。(同居して2年、私は結婚したかったんです)そして11月、プロポーズGET!(このために痛い思いをしたのかしら…)


12月、あまりの痛さに腹が立ってきました。「もうやだ!」と叫び、とうとう鎮痛剤を飲んだのでした。すごく効きました、鎮痛剤。。。


永野先生に薬での治療再開を進められ、ネットで調べて、統合医療をやっている世田谷リウマチ膠原病クリニックの吉田先生に出会いました。診察の時、今までの体の経過をまとめていったのですが、そのデータを見て先生は「うーん、これって、リウマトレックスが効いていたってことだね」とバッサリ(笑)


「今はもう一度、西洋医学のほうに軸足を移してみては?僕が協力するから」と言いました。「協力する」いい言葉!それから、吉田先生と一緒に進み始めました。



【自然療法でやったこと】


ひたすら寝る、

体に悪いといわれる食材をやめる(牛肉、豚肉、卵、牛乳・乳製品、小麦製品、ナス科の野菜、コーヒー、精製したもの、輸入食材)、

健康食品摂取(サプリメント、大豆プロテイン)、

スペシフィックカイロ、

自律神経免疫療法、

波動療法、

交流磁気治療、

丹田呼吸法、

イメージ療法、

整体、



4.2010年、西洋も東洋もなく統合医療開始


リウマトレックス再開後3か月で副作用(白血球減少)が出て薬を減量。痛みが強くなり、生物学的製剤(エンブレル)を勧められました。迷いましたが、先生にあることを打ち明けたら一気に解決。実は私、6月に結婚式を挙げる予定で、白無垢を着たいけど首がかつらに耐えられるか、重い打掛を羽織れるかが心配だったのです。


先生は「結婚式の前にね、エステとか通うじゃない?それと一緒かも!」エンブレル開始後2週間で効果を実感、無事に白無垢を着ることができました。その後、鎮痛剤終了。


8月に同居の義母が骨折入院して家事を頑張ったせいか、風邪が治らずリウマトレックス終了しプログラフに変更。家事と仕事をこなしながらも体は楽になっていきました。



5.2011年、メンタルでがっつり落ち込みながら統合医療継続


この年は、年始に夫の仕事での落ち込み、3月の震災、7月に再就職先の業務縮小で失業、10月に実母他界と続き、ひたすら落ち込んでおりました。そんな中、ずっと週2回25ml投与だったエンブレルが週1回になり、10日に1回になり、2週間に1回まで減量しました。


6.2012年から、心の問題と向き合い始める


母の四十九日法要も終えて少し落ち着き、気楽なバイトを始めて余裕ができたので、思い立って自分史をまとめ、流行りの「遺書」を書いてみましたら、急に自分の好きなことを思い出し、やり始めました。母の遺品を整理しながら古い着物で服を作ったり古い毛糸で編み物したり。ハーブとアロマを始めて、メディカルハーブ検定とアロマセラピー検定を受けて資格を取ったり。野菜や植物を育てたり。


年の後半からプログラフを終了し、2週に1回25mlのエンブレルのみになりましたが、痛みがぶり返し、エンブレル週1回に増量。このころ、家族との確執が続いていました。



7.2013年、自分のシャドーと向き合う


年の初め、信頼できる友人からスピリチュアルカウンセリングとコーチング、アートセラピーを受け始めました。家族との問題が起こるたびに、自分自身の内面と対峙する日々。


また、3月にアルバイト先が給料未払いで退職、6月から始めた別のアルバイトも社長と合わずに2か月で首になり、9月から始めたアルバイトも嫌なことばかり。


次から次へと苦手な人に出会っていった不思議な年でしたが、その度に友人に助けられ、また偶然受講したバッチフラワーレメディ講座での経験も私を助けてくれました。


6月に、久しぶりにリウマチ感謝さんのセミナーへ行き、今、心の問題に取り組んでいることを話すと、「それは大事!いつでも相談に乗るから」と言ってもらえ、すごく心強かったです。


週1回のエンブレルにリマチルが追加され、エンブレルは10日に1回に間隔が伸びました。年末、あまりにも疲れて気力が全く出ないため、漢方外来を受診して、気を補う漢方薬を飲み始めました。


8.2014年、他人を承認し自分の使命に気づく


家族との確執がピークに達した5月、あまりにも腹が立って、「馬鹿―――っ!」と叫んだら急に可笑しくなって笑ってしまいました。嫌いなところも愛おしい。好きなところと嫌いなところが両方あるのが人間なんだって気付きました。そして突然、その嫌いの基準は自分本位のエゴだと気付きました。体にダメージを与えるストレスを作っているのは自分自身だったと初めて気づきました。家族・苦手な人たちに投影することで、隠していた嫌な自分に気付いたんですね。


その後の夏、今までの体験談を話す機会があり、これからはこんな活動をしたいとおぼろげながら感じました。このころ姿勢と歩き方を習い、ギクシャクしていた体の使い方が正され、歩くことに怖さがなくなり、肩こりや腰痛が軽減しました。


2月からエンブレルが2週に1回になり、その後3週に1回、4週に一回と間隔が伸びました。


秋、「聖なる予言・ガイドブック」という本に出会い、順番に課題に取り組むことで、さらに自分のクセに気付いていきました。試しに許せなかった人を許してみると、自分は欠点だらけで間違いを犯すけど、そんな自分も家族や友人に許してもらい、愛されていると感じました。自分も自分を許そうと思いました。


11月、とうとうエンブレルを終了し、リマチルのみになりました!



9.2015年義母が2度入院、介護生活始まる


さあ、バイオフリー!と喜んだのもつかの間、2月に義母が大腿骨骨折で入院。家事に病院通いにアルバイト、家族や親類との確執も発生し、怒涛の日々が続き、両手が腫れて痛みはじめ、とうとう5月にエンブレル再開。いきなり50mlを週1回。その後減量し50mlを3週に1回で落ち着きました。


イライラがつのり、またもや自分との対峙の日々。9月にリウマチを卒業しようと思っていたのに、エンブレルを再開したことで気後れし、楽しみにしていた卒業式の参加もやめました。


10月、退院してやっと落ち着いた義母が外出先で転倒し、くも膜下出血で緊急入院。開き直りました。いろんなことがあるけど私は毎日ここで生きている。エンブレルが25ml週1回に減量になりました。



10.2016年義母退院し、自分の道を進む決心をする


エンブレルは25ml週1回を維持しつつ、リマチルからケアラムへ変更。これはいずれエンブレルを終了するときのための保険とのこと。義母の介護は続きますが、鬼嫁として楽しく世話を焼き、自分の道を楽しく進もうと思いました。


7月末、痛ましい障がい者施設殺傷事件が起きました。人間の中にある差別の心を考えていた時、はたと気付きました。私にも同じ差別の心がある。自分より弱い者に対してかわいそうと思うとともに、自分はそうでなくてよかったと思う心があると。


そしてそれは、リウマチが完治しない自分を否定していて、完治しない自分を自分自身が差別していたということ。完璧な健常者などいない。そのままでいい、あるがままでいい。


こんどこそ、リウマチ卒業式に出ようと決心しました。

今の私は、薬を使用したうえでの寛解状態です。それで良し!です。


これから先は神様に任せようと思います。

リウマチから教わったことは余りにも多いです。改めて、リウマチに感謝!


【東京都 ふ~さん 2016年8月12日記】



⇓ アファメーションメモ。このほとんどが叶ったそうです。

リウマチ感謝!

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