リウマチは自分へのご褒美、宝物です!

私のリウマチは、2008年の2月頃に手と足の裏がパンパンに腫れたことから始まりました。

最初は皮膚科を受診し、しもやけの前兆と言われ、痛みもあるのでしもやけではないのかもと、次は整形外科を受診しましたが湿布薬をもらって帰っただけでした。


その後、主人の「リウマチではないか?」という助言で、大きな病院のリウマチ科に行き、血液検査をしてもらったところ、やはりリウマチとのことでした。


その頃の私は、痛みがあちらこちらと移動し、車の乗り降りもままならず、靴がはけない、フライパンを満足に持てない、指先が痛くて戸だなが開けないという状態でしたが、病院で処方されたアザルフィシンが3カ月ほどで効果があり、痛みが落ち着いてきたので、そのまま治療を継続することになりました。


しかし、お医者さんから「いくらでも薬はあるよ」と言われたことで、これからどんどん強いお薬になるのかな?と、とても不安になりました。


そんな中、2009年の夏に、リウマチ感謝!さんのブログを発見したことが、治そうとする大きなきっかけとなりました。他の患者さんの書かれた体験談からとても勇気をもらい、私の経験も役立てばと、その時も体験談を投稿させていただきました。


もともとお薬に強い抵抗があった私は、その後アザルフィシンを止め、痛みの強い時だけ痛み止めを飲むという方法に変えました。


また、朝晩ゆっくり入浴し、部屋を暖かくして身体を温めることを意識しました。お風呂上りには全身をマッサージしたり足の裏をもんだりして血行を良くするようにしました。その他、母に薦められたノニジュース(後にフコイダンに変更)&アロエジュース、月1~2回の整体院通いでリンパの流れを良くすることも続けました。


そして、何よりも「疲れないこと」「無理をしないこと」を意識しました。実はリウマチ以外にシェ―グレン症候群と橋本病も併発していましたが、このシェ―グレンの症状の一つである「疲れると口内炎ができやすい」ことで、自分の行動をセーブできるようになりました。


口内炎のお陰で「これ以上やったら疲れるな」というのが分かってきて、自分のペースがつかめ、そのうち口内炎のできる回数も減っていきました。


痛みがまだあるにもかかわらず、大好きなテニスも無理のない程度に再開し、(本当はシェ―グレンは日光に当たるのは良くないのですが)帽子をかぶって屋外で楽しんでいました。書道も大好きで、当時は正座もできなかったけど足をのばしながら書き続けました。


2010年の4月頃、少しずつ自信がついてきた私は、以前よりずっと夢だったヘルパーの仕事があきらめきれず、資格をとりに行く事を決意しました。そして同時に、自分は「治った」と決めました。確信しました。


しかし、確信したとは言っても、実際はまだ不安もあったし、自信半分、不安半分といった感じでしたが、いま「一歩を踏み出さなければ!」という気持ちでした。


その後、念願のヘルパーの仕事をしながらも、どこかで「私はリウマチ」という思いがしばらくは抜けませんでしたが、あれから数年たって、最近ようやく自信を持って「完治した」と言えるようになりました。


今では、痛みもなく、シェ―グレン症候群も橋本病の症状も数値も落ち着き、大好きな介護の仕事にテニスにと楽しい日々を過ごしています。介護の仕事が楽しくて楽しくて。


思い返せば、私がリウマチになったのは、2つの仕事を掛け持ちし、仕事上の人間関係のストレスもあり、肉体的にも精神的にもハードな生活を送っていたのが原因だったと思います。


でも、私がリウマチになったことで、姑さんや主人、周囲の人たちがとても心配してくれて、私が治療に専念できるように協力してくれたり、みんなの優しさに触れることができました。


そして、リウマチ感謝!さんのDVDも観させて頂いたり、本も何回も読ませて頂いて、今の精神状態に持ってくる事ができました。やはり、治療には気持ちの持ち方がとても大切だと思います。「のんきに、のんびり、楽しく」が一番だと思います。


今は、リウマチになって本当に良かったと思っています。リウマチのお陰で人生観が変わり、自分らしい生き方ができるようになりました。リウマチは、「自分へのご褒美」、「宝もの」そんな気持ちです。


【千葉県ノーテンキちゃん様 2012年1月20日記】

リウマチ感謝!

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