私が発症したのは 4年前(2011年4月)でしたが、その少し前からすごい冷えと身の置き場のないくらいの倦怠感が続いておりました。
2009年10月に、母の末期ガンが見つかり入院、退院後は在宅看護がはじまり、家事、病院通いと、仕事をしていた私に精神的な不安や体の負担が一気にのしかかってきました。夕飯の洗い物をしながら眠ったりなど、心身ともに疲れていましたが、母に心配させまいと明るく元気に振る舞っていました。
私は一人っ子で、「しっかりしなければ」と頑張ってしまうところがあり、自分の身体が悲鳴をあげていても、私は大丈夫!自分のことはあとで!と、敢えて考えない、気付かないふりをしていました。半年後には、仕事との両立が難しく退職しました。
その後、母の体調が急変し、10月にはホスピスのある病院へ入院することになり、その日から母が亡くなる約2ヵ月の間、ホスピスの病室で一緒に生活することになりました。24時間、命と向き合いながら、緊張の連続で、張り詰めた生活でした。ストレスのせいか、11月には父にもガンが見つかり、2つの病院を行ったり来たりしました。
12月に母を看取り、葬儀、法要、事務的な事がようやく終わりかけた春、ものすごい冷えと倦怠感に、何かおかしい…と体調の変化に気付き始めます。
2011年4月の朝、今までに経験したことのない、ひどいぎっくり腰になりました。その痛みが消えかけた10日後、左肘に軽い痛みと腫れの症状が出て、翌日には右肘も同様になったので、近くの整形外科を受診しました。その時は関節炎ということで、しばらく通院しましたが、良くならず、そのうち両膝まで腫れと痛みが出てきました。
5月、大きな病院で診てもらおうと、リウマチ科のある総合病院に受診しました。検査の結果、今のところリウマチとは言えないので、引き続き整形外科で治療をしてくださいと言われました。(RF(-)CRP1.024 抗CCP抗体0.6)膝がパンパンに腫れてきたので、その後整形外科で2回 水を抜きました。抜いてもすぐたまるので、鍼灸にて痛みと腫れを緩和しました。
5月中旬、知人より別の総合病院の先生を紹介してもらい、その時は「リウマチ性多発筋痛症の疑い」と診断されました。(RF(-)CRP0.91) ロキソニン、セレコックス、湿布薬、貧血が出ていたので増血剤も処方されました。腫れや痛みはあるものの、CRPも0.13となり落ち着いておりました。
8月中旬から38度以上の熱が続きました。身体は鉛を入れたように重くて激痛が走り、自力で動かすのが辛く、ベッドから起き上がるのに時間がかかりました。この年は母の初盆で、墓掃除や人の出入りで忙しく、無理してつい動きすぎてしまったようです。
熱が下がらないので受診すると、ステロイド(プレドニン15mg/日)を2週間処方されました。 (RF(-)CRP3.16)翌朝はウソのようにスッと起き上がれ、フツーに歩行が出来てびっくりしました。改めて薬の恐ろしさを知りました。
この総合病院は、自宅から片道2時間以上かかり、通院の不便を配慮して市内のリウマチ専門病院を紹介してくださいました。専門病院では「関節リウマチ」と診断されました。(RF(-)CRP0.05未満) 痛みや腫れはあるものの、検査値が下がっているので、先生の指示で減薬していきました。順調に減薬は進み、翌年2012年4月には、プレドニン1mg/日になり、来月で薬も終了と思っていました。
ところが、5月連休明けに38度前後の熱が2週間続き、腫れた両膝の裏表に固いシコリが出来ました。
検査値が高く(RF(-) CRP 11.17 MMP-3 836)何となく嫌でしたが断りきれず、静脈注射(リメタゾン静注)を打ちました。
一旦は熱が下がりましたが、再び夜間に高熱が出て、尋常でない痛みに眠れませんでした。翌朝は、首、顎関節、肩関節、肘、手首、膝、足首が腫れと痛みで動かせませんでした。どうなるんだろうと不安で仕方がありませんでした。特に足首から先は紫色に腫れ上がり恐竜の足のようでした。
先生に訴えても副作用ではないと言われ、不信感がつのりました。定期的に鍼灸へ行き腫れはだいぶ治まりましたが、紫色が抜けるまで暫くかかりました。処方は プレドニン10mg/日 からのスタートになり、同時にリマチルをすすめられましたが、副作用が心配で断りました。
6~7月は薬が効いているとは思えず、むしろ倦怠感が増すようでした。
8月 このままではMMP-3の値が下がらないからと、ついにリマチルを処方されました。(RF(-)CRP1.25 MMP-3 442.3)(プレドニン6mg/日 リマチル100mg/日)この頃は体重が35㎏台に減少しており、体力と副作用が心配でリマチルはのみませんでした。
本当にのむ必要があるのだろうか? 前に進む為にも、もう一度総合病院で検査してから決めよう!と思いました。検査結果が出て、直ちに薬物治療しなければいけない状態ですか?と聞くと、様子をみてもよいと言われたので、私の気持ちは固まりました。(RF(-)CRP1.715 抗CCP抗体0.6)
リウマチ専門病院は、9月の受診を最後にやめました。自分の自然治癒力を信じて減薬していこうと、プレドニンは2週間毎に0.5mg減らしていきました。
数日後、やっと!ようやく!リウマチ感謝さんに巡り会うことになります。何故もっと早く出会えなかったのか…と思いましたが、きっと今がベストだったのだ!と思い直しました。
リウマチ感謝さんの本をむさぼるように読み、勇気がわいてきました。そして絶対治る!と何度も心に誓いました。また遠赤外線ホットパックを購入し痛む所を温めました。
2012年12月 東京での特別合同セミナーに初めて参加させていただきました。卒業生の方のお話や減薬のお話は、11月で断薬したばかりの私には、大いに励みになりました。
2013年1月 大阪で施術を受けた際「治るスイッチが入っている」と言っていただき嬉しくなりました。3月には両膝に水が溜まりだし、両肘も曲がり始めました。
5月はじめ 夜になると38度前後の熱が1週間続き、寝汗でびしょびしょになり、朝までに2回着替える状態でした。
2014年4月 GWに微熱が続き、寝汗もかきましたが、着替えは1回ですむ程度になりました。肩甲骨まわりの痛みはずっと続いており、頭から離れることがありません。
5月後半 父が自宅で大腿骨骨折をし入院しました。認知症の為、夜間の付き添いの要請があり、約1ヵ月 簡易ベッドで不眠と痛みに耐えました。
7~9月 父がリハビリのため転院し、完全看護になった為、久しぶりに朝までぐっすり眠る事ができました。この3ヵ月で私の体も回復したようで、痛みを忘れる日が多くなりました。睡眠は大事だと改めて感じました。
2015年3月 毎年恒例となった春先の微熱が出ないよう、祈る気持ちでセラピーを受けました。リウマチ感謝さんとお話しただけで、ぽかぽかしてきます。施術後は正座が出来るようになりました。
5月~現在 発症以来、初めて熱が出ませんでした。草むしりも少しずつ出来るようになり、痛みをほとんど感じない毎日を過ごしています。
発症と父の介護とほぼ同時に歩んできましたが、3年くらいはひどい痛みが続きました。介護がなかったら、もっと自分の治療に専念できたかもしれない…と思った時期もありました。回り道をしたようですが、やはり私にはこの時期は、自分と向き合わざるを得ない貴重な時間だったと思います。
<一番大変だった頃の様子>
・着替えに時間がかかる(ブラジャーは前開きに変えた、かぶり式の服はストレッチがきいてないとムリ)
・字が書けない
・歯磨きが出来ない(電動に変えた)
・顔がうまく洗えない
・料理がうまく出来ない(包丁を使うのが痛い、お米がとげない、まな板を軽いものに変えた)
・ペットボトルや調味料のフタが開けられない
・フキンがしぼれない
・痛みで眠れない、寝返りがうてない、タオルケットがつかめない
・膝や足首の腫れ、股関節の痛みでヨチヨチ歩きしか出来ない
・蚊が顔にとまっても、たたけない
・ものが床に落ちても拾えない
・立ち上がるときなど、手がつけない
・正座ができない
・洗濯物をパンパンと出来ない、洗濯バサミが開きにくい
・コンセントが抜けない
・ゴミ袋のひもが結べないし、ゴミ出しも困難
・ドアノブが回せない
<好転反応>
・眠気をもよおす
・お腹、背中に湿疹が出来て痒かった
・寝汗(パジャマがしぼれるくらいの時も)
・痛みが強くなった
<実践したこと>
疲れたら横になる、爪もみ、鍼灸、遠赤外線ホットパック、ストレッチ、お風呂で湯船にゆっくりつかる、呼吸法(未だにうまく出来ません)、心地良い音楽を聴く
調味料は無添加のものを選ぶ、肉類より魚や野菜中心の食事にする、乳製品をやめる、パンから米に変える、ジェイソンのお茶、しょうが紅茶を飲む、発酵食品をとる、人参りんごジュース、白砂糖をてんさい糖や蜂蜜に変える、 水飲み、なるべく手作りの料理をつくる
<卒業>
最近は、人と会う度に良くなったね!と言われます。痛みも気にならなくなったことを、自分でも実感している今 卒業しよう!と思いました。今では、自分の体の声が聞こえるようになり、不思議とこだわらなくなりました。
リウマチになったおかげで、リウマチ感謝さんと出会え、沢山の勇気と励ましをいただきました。
本当に感謝しています。卒業する機会をいただき、ありがとうございました。
【広島県 S.N.さん 2015年9月9日記】
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