一年半ほど前、超健康優良児の夫が不調を訴えだしました。
「どうも、足の裏が痛い・・・」
靴を替えたり、ソールを貼ったり。けど一向に良くなりません。とうとう手先まで腫れた感じに。
これはおかしいとアレコレ調べたり診てもらったりした結果、昨年の5月に大学病院にて関節リウマチと診断されました。そして、診断直後、素直な性格の夫はその素直さのまま、体中にリウマチが広がったようになり、全身が「痛み」に変わってしまいました。
サラリーマンの夫はそれでも毎朝痛い体を引きずって会社へ・・・。 Yシャツ一枚着るのにも20分はかかっていました。階段を数段下りるのにも10数分かかっていました。
そんな夫を私は見守るしかないのか?
ただただ「かわいそう」と涙し、不安にかられるしかないのか?
元来負けん気の強い私は、そんな運命に憤りを感じていました。そもそもリウマチってなんやねん?!と半分挑む気持ちで書籍や人の話やネットで調べだした頃。なにかに導かれるようにたどり着いたのがリウマチ感謝!さんのブログでした。
何しろおもしろい!!夢中で読みました。
「病気の話をこんなにおもしろく、元気に書ける人って一体・・!?」 と興味シンシンでした。
ちょうどその頃、夫は大学病院から「今のうちから薬(リウマトレックス)を服用した方がいい」と勧められていました。もともと病院も薬も嫌いな夫、しかもリウマチの薬を服用する際は子作り禁止だといいます。子供が欲しいと考えていた私たちには苦渋の選択でした。
「これは、リウマチ感謝!さんと連絡を取らねば!!」
と、思い切って連絡を取らせていただきました。 見知らぬ他人の私からのメールにも、丁寧にお返事を下さりすぐに電話相談の約束をしてくださいました。電話でお話させていただいただけでも、ものすごいパワーをいただきました。
「これは、、、この人は、、、、病院の先生なんかとはぜんぜん違う!!!」
直感でそう感じた私は、どうにか夫に会って欲しくて、ほぼ無理やり会う時間を作っていただきました。
お会いさせていただいたあとの夫の言葉が忘れられません。
「俺、絶対治す!絶対やるで!」
私一人では、夫からこの一言を引き出すことは不可能でした。
リウマチ感謝!さんの言葉、考え方の姿勢、お話の内容、そして笑顔。これがなければ夫の治したいというモチベーションは上がらなかったと思います。そしてどんな人のお話よりも、リウマチ感謝!さんのお話が夫には一番納得がいき、一番ホッとしたようです。
中村先生やリウマチ感謝!さんの仰る「リウマチを治した人が一番の先生」ということが身に沁みてわかりました。
今現在、夫はイメトレ、呼吸法、食事療法、鍼灸、自分が納得している漢方、あとは「笑い」でリウマチくんを体から排出中です(笑)私が手伝えるのは、食事と笑いくらいです。ここが家族としては歯がゆいところなんですが・・・(^^;)
夫がリウマチになったおかげで私はたくさんのことに気づけました。
この人はこんなにも芯が強かったのか。この人はこんなにも優しかったのか。
リウマチは、私たち夫婦の形を少しずつ変えていってくれました。私たちはこんなにも気遣え合える。私たちは運命共同体、二人三脚なんだと。
当たり前のようだけど、それまで体感として気づけなかった私たちはリウマチという病気を通して、夫婦の絆を新たに紡ぐことができました。
リウマチを治そうと奮闘するご本人さま、どうかその家族も一緒に取り組んでいることを、忘れないでいただきたいのです。どうしても「一人でがんばってる」と思いがちでしょうが、家族がみなさんの背中を支えていることを感じて欲しいです。
そしてご本人さまを支えるご家族の皆さま、けっして自分たちだけではないのです。ご親戚、ご友人、職場の方々、ご近所の方々、、、直接ではなくても、たくさんの人が私たちを支えてくださってます。
リウマチ感謝!さんがそうだったように、きっと「他人」はそれだけの関係ではないのです。私は、これは「リウマチ」が会わせてくれた素敵な出会いだったのだと感じます。こう思えるようになったのも、リウマチ感謝!さんの存在があったからです。
正直、まだときどきケンカもします。落ち込む時もあります。けれど、そんなときはリウマチ感謝!さんのブログをもう一度おさらいして、気持ちの軌道修正をします。そのブログが書籍になったというのが、最近の一番嬉しいニュースです。
これからもリウマチ感謝!さんのお力を借りつつ、私たち夫婦流の「リウマチ感謝」を実行していこうと思います。
【大阪府 藤原真幸さん 2008年8月1日記】
→ 2012年の年賀状で、日常生活に支障がないほど回復されたとのご報告を受けました♪ お仕事をされながらなので、緩やかな回復となりましたが、ご夫婦でよくがんばられたと思います♪
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